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モアイプロジェクト

 1960年のチリ地震津波での被災者へのお見舞いに、宮城県南三陸町にチリ政府からモアイ像が送られたが、今次震災により、頭だけを残して胴体は流された。現地の女子高校生たちがモアイ復旧プロジェクトを立ち上げていたところ、チリ大統領が従来のものより一回り大きいモアイ像を寄付してくれることになり東京に到着した。
 我がクラスの自他共に認めるミスターモアイ氏には、以前に仙台幹事長より詳細を連絡してあり、氏は松島クラス会終了後に、南三陸町のモアイ閣下に表敬の予定であるなどの連絡をいただいていた。
 しかし、現在は頭のみであり、新しいモアイ像が届くのは5月25日である。その前に東京そして大阪と展示されてから宮城県に入る予定なので、モアイ氏には、大阪にて拝謁されてはいかがかと思います。
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 イースター島の石材は、今や全面的に持ち出し禁止なのだそうであるが、大統領の特別な配慮があったのだろう。
 モアイ像には、いろんな謎がある。最も面白いのは、石切り場より、像自身が自分で歩いて海岸までやってきたという説なのである。数年前の民放テレビがやっていた。出来上がった像をわずかに傾けるだけで、重心が移動して、あたかも像がヨタヨタと歩くがごとき状態で動くという実験をやっていた。
 昔の人は、海岸までのわずかな傾斜と、モアイの首につけたロープを左右に引っ張るだけで、像が歩いて自分で海岸にたどり着けたというのである。
 その他の話は、紙数の関係から省略する。  今回もwatari記

新聞記事の詳細は以下のURLです。
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130321t75014.htm
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by tettan2mc | 2013-03-22 14:15  

Qちゃんの大槌町

 「鶴瓶のカンパイ」をご欄になった方も多いと思う。Qチャンの大槌町仮設商店街への訪問番組は心温まるものがあった。

 2年前の大槌町には何も無かった。仙台幹事長カマさんと行った際には、商店はコンビニただ一軒のみであった。いろんな仮設のお店が出来ている。利用者も沢山いるのだと思う。

 わが町には、日本最大という表現もおかしいのだが、500戸の仮設住宅と20軒ほどの仮設商店街が出来ている。開設当初は大繁盛だったが、今は勢いがなくなってしまった。どうしても街中の大型スーパーに人が流れていくようだ。

 津波による被災地には、平地が少ない。仮設住宅街も細切れになってしまう。わが町には幸いにも広い公共用地が残っていた。4万坪の更地があったので、一大仮設団地を作ることができた。

 宮城県では、石巻などの各地で復興住宅街を造成しようとして、高台の造成を始めたら、縄文時代から平安期にかけての住居遺跡が次々と出てきている。昔の人も安全な場所を知っていたのである。しかし生活に不便だからと災害を忘れた頃に再び沿岸地域に住むようになり、現在に至っているのだろう。

 東松島市では、3500年前に津波で遭難したとみられる親子の骨まで残っている。不自然な出土状況から当時の津波死亡と考えるのが妥当だろうと。

 我が町に大槌町と意外な接点を持った人がいる。小中学校で私と同級生だった男である。20年ほど前になるが、彼の息子が結婚した相手は岩手県出身だとは聞いていたが、後に知ったのだが大槌町だったのである。
 その嫁さんは、男子2人を生んだが、ほどなくして事故で亡くなってしまった。同級生夫妻が幼児を育てて現在に至り成人式も近い。今回の大震災で詳細な事実を知ることになった。というのは、その亡くなった嫁さんの実家が大槌町の海岸近くで、父親が一人暮らしをしていたそうだ。孫の成長を唯一の楽しみにしていたのだとか。今般の震災で行方不明となってから、孫と何度か大槌町に足を運んだというのである。
 私の聞いた一事例なのだが、こんな話がたくさんあるのだろうと思う。watari記
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by tettan2mc | 2013-03-15 21:16  

災害とNPO

 今やNPO法人は星の数ほど出来ている。中には詐欺まがいのNPOだとか、黒いNPOが新聞を賑わしている。大震災を機会にして出来た任意団体がNPO化する例も多い。

 NPOは誤解されることも多いが、必ずしもボランティア団体ではない。働く人の給料くらいは出せなければならない。金銭の出入りがあるので、きちんとした会計報告も必要だ。震災寄付金の受け皿として設立されたようなNPOもあり、こういうのは比較的楽であるが、それなりの成果を出すのに苦労している。

 今回、私が係ったのはわが町の臨時災害FM放送局をNPO化することに関してである。大津波を受けた沿岸地域では各市町村毎に政府の援助もありFM放送が立ち上がった。
 一度、これらの放送が定着すると、当事者にとって今度は止めるに止められない。勢いNPO法人化して地域コミュニティ放送としての継続を、ということになる。
 神戸でも阪神淡路大震災以降に同様の放送局ができているが、都市規模が違いすぎるので、あまり参考にはならない。

 NPOを立ち上げること自体はさほど困難なことではない。マニュアルまであるが、多少の力仕事(時間がかかる)である。定款などを、その事業体に沿って文言を練り直してゆく。

 書類は、宮城県の場合、全部で15種類ほどがある。
 大変な労力を要したが、先日設立総会を終えた。細かいことが沢山あるが、NPOの大変さは設立以降の資金集めにあるようだ。人口3万5千人規模の町で必要な資金が得られるのか、これからが試されている。ちなみに、全国でこれまでにNPOの70%は資金が続かずに閉鎖状態にあるのだという。

 岩手県大槌町の隣である山田町では、北海道から入り込んだNPO「大雪」が巨額の使途不明金を出した。町がいいように食いものにされてしまったかのようだ。地元の新聞に詳細がでていた。

 仙台でも、災害復興のいろんなNPOが設立されている。市長もこれを当てにしたような発言もある。もちろん多額の補助金が出ていることは言うまでもない。

 震災より2年、ガレキは殆どなくなりつつあるが、復興がすすんでいるとは言い難い。何も無くなった海岸の街をみて、何も知らない人は、元からこんなところだったのかしらとなってしまう。
 以下はmorikouさんのコメントへと続く。        watari記。
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by tettan2mc | 2013-03-01 12:08