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絆(きずな)

 Morikou会長さんのコメントに応えて、もう一話を掲載します。震災直後には、「絆」という言葉が盛んに使われました。人と人の絆の他に「集団の絆」もあります。これは、どなたか中心人物がいないとダメです。
 2MCは、幸いにして会長さんの下に一致結束できました。稀にみることが実現できました。我々はその絆の運び屋を勤めさせていただく幸運に浴しました。50年前のことが目の前にあるかのようです。

 今回の津波は、南北500kmにも及ぶ巨大なものでした。特にミナトさんがお住まいの岩手県大槌町は細い平野が奥に向かって伸びており、その中を川が通るという、被害甚大になる地形的な要素もありました。津波がくると、いつもどういうわけか大火災が発生します。海は油の流失ということで、何となく理解できるのですが、山も燃えるのです。
 ミナトさんの家から周囲を見渡すと、山の方々の木々が赤茶けているのです。当日燃えたということなのです。奥さんのお話によると大変に怖かったそうです。住宅団地は1mもの水に漬かり、危ういところで命を拾ったそうですが、周囲の山は燃えるし生きた心地がしなかったそうです。ご夫妻が再会するまでは、お互いに命を失ったのではないかと思っていたそうです。

 我々が訪問させていただいた時にも、大槌町にはまだお店が一軒しかなかったのです。コンビニです。ですから不便この上ない生活だと思いました。
 コンビニの屋根越しに撮影した山の写真を添付します。丸く囲ったところが燃えた部分です。
(大きくして見てください)
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 私の住む宮城県亘理町は、海岸に接する長さが10kmほどである。海岸から奥に7kmほどが平野であり、そこから小高い山となる。私の家は海岸より6kmのところにある。津波の到達した最先端は、海岸より5kmのところである。したがって津波の害はなかった。
 しかし、津波は川を伝って山の方まで押し寄せている。陸地では急速に勢いが弱まるが、川は障害物が少ないので勢いを持続するのである。

 津波の速度には理論式がある。波動方程式から導かれる。結論はきわめて簡単である。
  秒速度(v)=√(g×h)   ルートの中にgとhを掛けたものがある。
 gは重力の加速度=9.8m/(秒の2乗)   hは水深で単位はメートル

 暗算でも答えは出てくる。水深4000mだと時速がおよそ720km、チリから日本まで一昼夜で到達するわけだ。水深1mの川では、時速10kmとなるが、押し寄せる勢いが強く川は障害物がないだけ早く進み、逆流してきた水は自転車で堤防を行く人を追い越したそうだ。
 陸上では速度ゼロとなるが、海からの勢いで奥地まで押し寄せる。その速度は時速20km程度のようだ。(注:上記の式は、深海でのみ適用できるそうで、水深1mは無理にあてはめた)

 私の家から海岸に向かって一時間と歩かないうちに軒下浸水の家がある。外観はしっかりしているが、家の前に出るとガラス戸はなくなり、中は泥とホコリにまみれた家具が傾き、凄惨な状況である。時代劇に出てくる百年も空き家だったような荒れ果てた感じである。(この家は取り壊すという予定のものだ)
 これに近い状況からミナトさんは、再建したのだろうから、すごいことだ。watari記
 

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by tettan2mc | 2011-06-22 20:38  

数秒差で命助かる

 3.11東日本大震災で最も大きな被災を受けた同窓生は大槌町に住むミナトさんである。クラスメンバー各位から多大な義援金が寄せられた。6月5日それを届けるべく、カマタさんと現地へ向かった。仙台から250kmの道のりである。岩手県東和インターまでは高速道路で、そこから先は一般道路となる。ミナトさんは隣町である釜石駅まで迎えに出るからという。4時間ほどで到着した。駅の道路を挟んだ向かい側は釜鉄の巨大な建屋が並んでいる。
 駅の駐車場にカマタさんの車を置いて、ミナトさんの車で自宅に至る被災現場を案内していただくことになった。駅前広場には銅像があった。そんな偉人は大島高任だろうかと思ったがその通りだった。
 駅からアーケードの商店街を通ると、いずれの店も1階は空洞である。津波にやられガレキは片づけられたが、何にも置かれてなく暗い。不気味な感じがする。中心街なのだが信号も未だについていないところが多い。
 釜石は、海岸近くまで山が迫るリアス式湾岸の街である。見通しの良いところで、平地のところを見ると、何ですかこれは!!となる。2日前にここを慰問した横綱白鵬も同様のつぶやきを漏らしたそうだ。一面ガレキ野の所どころに建物がポツリと見える。例えていうと長崎に原爆が落ちたような光景なのだ。
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 ミナトさんは、いまなお現役なのである。釜石の職業訓練学校の責任者なのである。配下にある教師7人と生徒34名を、地震の後でそれぞれに帰宅させ、最後にノートパソコンを抱えて、車に乗り込み自宅へと向かったということだった。
 しかし、かなりの時間が過ぎていた。学校をでて間もなく、道路をこちらに向かってやってくる津波の先端を見たそうなのである。水位は低くそのまま走りきろうと思ったが、その向こうに木の流れて来るのが見えて、これはダメだと思い、車を反転させて近くにあった丘へ登る山道へハンドルを切って、必死で運転をしたそうである。上り口では、幹線道路を走ってくる車も見えたので、てっきり後ろに続いているものだと思ったそうだが、中腹でバックミラーを見たら、自分の後に車はいないのだという。わずか数秒の差異が生死を分けたのである。
(幹線道路から山道への入り口)
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 その日の夜は、海抜50mのところにある平地にて、地元の方々からの毛布やコタツのようなもの、さらには食料などをもらって過ごしたのだということである。

 ミナトさんの勤務する学校は建屋は残るものの、海岸に近く、津波は3階屋根の上を越えて行ったようだ。付近は比較的きれにされている。だが車を降りると周囲には微小なチリやホコリが多いのだろう、むせったくなる。
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 大槌町に入ると、全国ニュースにも度々登場するが、悲惨な光景が広がる。役場の時計は3時25分を指している。地震は2時46分なので40分は時間があった。町長は逃げ遅れたのである。
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 ミナトさんの自宅は、川の側の団地の一角にある。津波は川を逆流して堤防から溢れ、団地は1mを越える水びたしになった。車も浮き上がり動いて行ったそうである。自宅も惨憺たる床上浸水で、水が引いた後で、匂いと泥と戦いながら、復旧につとめ、ようやく自宅に住めるようになったとのことである。玄関ドアが開いているが、その中央あたりまで水がきている。
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 2011.6.11管首相は釜石に入った。花巻までは飛行機で、そこからはヘリコプターだったのだろう。視察のバスは、商店街を通った。先日、直接目にした光景を再びテレビをとおして見ることになった。市長は必死に訴えているが、間もなく辞任する首相に、何となくむなしいもののようにも思えた。
 3ケ月目の黙祷をささげた。これからがまた長いのだろうと思う。
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by tettan2mc | 2011-06-06 21:15