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Qちゃんの大槌町

 「鶴瓶のカンパイ」をご欄になった方も多いと思う。Qチャンの大槌町仮設商店街への訪問番組は心温まるものがあった。

 2年前の大槌町には何も無かった。仙台幹事長カマさんと行った際には、商店はコンビニただ一軒のみであった。いろんな仮設のお店が出来ている。利用者も沢山いるのだと思う。

 わが町には、日本最大という表現もおかしいのだが、500戸の仮設住宅と20軒ほどの仮設商店街が出来ている。開設当初は大繁盛だったが、今は勢いがなくなってしまった。どうしても街中の大型スーパーに人が流れていくようだ。

 津波による被災地には、平地が少ない。仮設住宅街も細切れになってしまう。わが町には幸いにも広い公共用地が残っていた。4万坪の更地があったので、一大仮設団地を作ることができた。

 宮城県では、石巻などの各地で復興住宅街を造成しようとして、高台の造成を始めたら、縄文時代から平安期にかけての住居遺跡が次々と出てきている。昔の人も安全な場所を知っていたのである。しかし生活に不便だからと災害を忘れた頃に再び沿岸地域に住むようになり、現在に至っているのだろう。

 東松島市では、3500年前に津波で遭難したとみられる親子の骨まで残っている。不自然な出土状況から当時の津波死亡と考えるのが妥当だろうと。

 我が町に大槌町と意外な接点を持った人がいる。小中学校で私と同級生だった男である。20年ほど前になるが、彼の息子が結婚した相手は岩手県出身だとは聞いていたが、後に知ったのだが大槌町だったのである。
 その嫁さんは、男子2人を生んだが、ほどなくして事故で亡くなってしまった。同級生夫妻が幼児を育てて現在に至り成人式も近い。今回の大震災で詳細な事実を知ることになった。というのは、その亡くなった嫁さんの実家が大槌町の海岸近くで、父親が一人暮らしをしていたそうだ。孫の成長を唯一の楽しみにしていたのだとか。今般の震災で行方不明となってから、孫と何度か大槌町に足を運んだというのである。
 私の聞いた一事例なのだが、こんな話がたくさんあるのだろうと思う。watari記

by tettan2mc | 2013-03-15 21:16  

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